台湾中部・南投に行ったとき「中興新村」に行きました。中興新村は、1950年代に農地の中に建設された計画都市(人工都市)で、中華民国の「台湾省政府」が置かれていた場所です。中華民国の「台湾省」というのは実に冷戦時代の名残を感じさせる歴史的遺産のひとつです。

中華民国の一部としての「台湾省」

第二次世界大戦後、日本統治が終わった台湾を接収した蒋介石率いる国民党政府は台湾本土出身者(本省人)を粛清・抑圧する独裁体制を敷き、紆余曲折がありつつも、最終的に「台湾省」を設置するにいたりました。この時は中国にある「○○省」と呼ばれる行政区域のひとつとして台湾省ができたわけです。

「台湾省」が「中華民国」の95%以上に

ところが国民党が内戦で共産党に負け、一部の小島を除き、中国にあるほとんどの領土を失ってしまい、台湾に逃げ込んだあたりからおかしなことになっています。

国民党が把握している領土は一部の小島を除き台湾のみです。でも国民党としては中華民国が中国全土を統治するべき(=共産党が作った中華人民共和国は無効)と言う建前と面子で、「台湾省」をそのまま残しました。

そうすると国(中華民国)の下に「台湾省」があると言うことになりますが、この「台湾省」が国土の95%以上を占め、ほぼ完全な二重行政で非効率な事この上ない状態となりました。

例えば現在2013年の段階で大阪府と大阪市の合併で、二重行政を解消しようと言う話が出ていますが、重なっていると言っても、大阪市の割合は大阪府と比較して面積で10%、人口比で30%です。「台湾省」が如何に無駄な状態だったか想像いただけると思います。

「台湾省」は実質廃止に、でも複雑な事情が

李登輝総統時代に行政改革が行われ、「台湾省」は名目だけの存在となっています。なぜ名目だけ残っているかといえば、恐らく中国との関係が大きな理由の一つでしょう。

中国は軍事大国、しかも「台湾独立を宣言したら軍事的な手段もあり得る」と脅されているのが現在の台湾の現状です。実際李登輝総統時代は総統選挙の期間に「軍事演習」と称してミサイルを近隣の海域に打ち込むというかなり露骨な圧力を掛けていたこともあります。

昔は「台湾」はどうでもよかった?

昔、蒋介石と毛沢東の時代は中国全土の覇権を懸けて争っていました。なにせ両方とも「うちが中国」と争っていた時代で、正直台湾はどうでも良かったのかもしれません。

例えばオリンピックに選手団を送る時の国名表記。国民党側は「中国(China)」にこだわり、「台湾(TaiwanもしくはFormosa)」は拒否。でも「中国(China)」は共産党側からすると「お前は台湾だろ、中国と名乗るな!」と受け入れられない。結局ああだこうだ揉めた挙句、「中華台北(Chinese Taipei)」という訳の分からない名称に落ち着く・・・こんな時代だったのです。

覇権争いから降りたい台湾

ところが長い月日がたち、「中華民国」初の本省人(台湾本土出身者)総統として李登輝総統が就任。この頃になると昔のように「戦で中国大陸の領土を取り返すんじゃ!」という人はほとんどいなくなっていました。少なくとも台湾出身者にとって中国大陸はお隣であっても失った領土ではありません。

こうなってくると「(国民党)俺が中国だ!」「(共産党)何言っているんだよ?俺こそ中国だよ!お前は台湾じゃないか!」って言って予定調和している喧嘩だったはずが、「(国民党)・・・そうだな、俺やっぱ台湾でいいや、中国はおたくで・・・どうぞどうぞ!」と、中国は「ダチョウ倶楽部の上島竜平」状態。

でも共産党も今となっては台湾が欲しいので、勝手に勝負から降りられては困るのです。なんで台湾が欲しいのかは色々な理由があるのですが、その辺は書くと更に長くなるので別の機会に・・・

ということで建前として台湾省は名目だけ残っているが、実質的には機能していない状態となったわけです。

政治は置いておいて・・・都市作りから見ても面白い

中興新村は、第二次世界大戦後に流行ったイギリスの「Garden City」の考え方を取り入れ、ちょっと古さも感じますが、緑豊かな場所です。「Garden City」は日本語では「田園都市」と訳されており、日本の第二次世界大戦後に作られた「○○田園都市」や「○○ニュータウン」に大きな影響を与えた考え方です。

※2012年5月27日に書かれた記事に加筆・修正しました。

(2013年7月12日 更新)

Twitter, Facebook, Google+で最新情報をチェック

「台湾で起業」の中の人が色々な台湾の話題をつぶやいています