深夜特急〈6〉南ヨーロッパ・ロンドン (新潮文庫)

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バックパッカーのバイブルともいわれる沢木耕太郎の紀行文『深夜特急』で、旅も終盤に差し掛かったにこんなくだりがあります。

これが紅茶というポルトガル語ですか」私が「CH’A」という単語を指差して訊ねると、鬚の息子はそうだと頷いた。
何ということだろう。私は、あのイスタンブールのハナモチ氏が言っていたとおり、ユーラシアの果ての国から出発して、アジアからヨーロッパへ、仏教、イスラム教の国からキリスト教の国へ、チャイ、チャといった「C」の茶の国からティー、テといった「T」の茶の国に入ったものだとばかり思っていた。事実、ギリシャもイタリアも、フランスもスペインもすべて「T」の茶の国だった。
ところが、そこを通り過ぎ、ユーラシアのもう一方の端の国まで来てみると、茶はふたたび「C」で始まる単語になっていたのだ。

「イスタンブールのハナモチ氏が言っていた」という理論は、アジアは茶をチャイ、チャといった発音で表現する「C」の茶の国、ヨーロッパはティー、テといった発音で表現する「T」の茶の国ということなのですが、実際はどうなのでしょうか?

「C」の茶の国と「T」の茶の国がどの辺にあるのか地図で見てみましょう。「C」は赤、「T」は青のマークで表記しています。

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実際は「C」の茶の国というのは、北方中国語方言、もしくは広東語由来の「ch’a(チャー)」が、大航海時代前の交易ルート、つまりシルクロード経由で伝わっていったルートです。

「T」の茶の国は、福建語や台湾語由来の「tê(デー)」が大航海時代で海路を中心としたルートで伝わったものです。当時オランダがアモイ(廈門)から茶を輸入しており、イギリスなども含め、オランダ経由で茶を輸入していた国はみな「T」の茶の国になったわけです。

大航海時代、オランダはジャワ島や台湾を植民地として、大いに貿易に励んでいました。そう、大航海時代の台湾はオランダ領だったのです。

同時代のポルトガルは貿易に関してはオランダと張り合っており、茶はポルトガルの植民地であるマカオから輸入していました。よってポルトガルは「T」の茶の国に囲まれつつも広東語由来の「ch’a(チャー)」を使う「C」の茶の国になった訳です。

インドネシアやマレーシアなどのマレー語地域が「T」の茶の国に入っているのは、インドネシアが昔オランダの植民地があった関係、スリランカが「T」の茶の国に入っているのもイギリス植民地だった関係だと考えられています。

こうやって見るとシルクロードや大航海時代の世界交流の様子がよくわかります。ちなみに大航海時代は織田信長、豊臣秀吉が活躍していた時代から江戸時代初期くらいまでにあたります。火縄銃などが到来した南蛮貿易というのは大航海時代の世界交流の一端でもあったわけです。

(2012年11月4日 更新)

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