台湾で唯一残った神社、桃園神社(現、桃園縣忠烈祠文化館)、台湾人の「智慧」と「念い(おもい)」が神社を守った

桃園縣忠烈祠文化館(旧桃園神社)

鳥居と灯籠に椰子の木が台湾らしい光景だと私は思います。ここは旧桃園神社(現、桃園縣忠烈祠文化館)です。日本統治時代は各地に神社が建設されましたが、1972年に台湾と日本が断交した時に当時の国民党政府によってかなり壊されてしまいました。旧桃園神社は住民や学界の運動により、日本統治時代とほとんど変わらない状態で残りました。

日本統治時代、台湾全土に神社が創建される

台北のランドマーク、圓山大飯店 (Wikimediaより)
台北のランドマーク、圓山大飯店 (Wikimediaより)

1930年代、日本は台湾の全ての町に神社を創建する政策をとっており、桃園神社も1936年(昭和11年)に創建が決まり、1938年(昭和13年)に落成、鎮座式が行われました。

ちなみに台北市のランドマークとなっている中国式建築のホテルである「圓山大飯店」が建っている剣潭山には台湾を代表する神社だった「臺灣神宮」がありました。圓山大飯店は臺灣神宮を取り壊して建てられたのです。

中国の故事が込められた扁額

旧桃園神社・扁額
桃園神社・扁額

現在は中華民国のために亡くなった軍人を祀る「忠烈祠」として建物が使われています。扁額もそれを意識した書が選ばれています。例えば「萬古流芳」とは名声が永遠に伝わること、また「民族正氣」の「正氣」は、真っ直ぐな気概、忠誠心を意味します。

文天祥
文天祥

この「正氣」は、中国南宋末期の軍人・政治家で、南宋への忠義を全うした文天祥が作った詩「正氣歌」に由来しています。日本で言うとモンゴル(元)のクビライ・ハンによる元寇があった時代です。

南宋は最終的にフビライ・ハンによって滅ばされるのですが、文天祥はその才を惜しんだクビライに何度も仕えるように勧誘を受けます。それを断る中で南宋への忠誠を貫き、死を求める「正気の歌」を詠みました。

中国(China)であることが強調されていた昔の台湾

第二次世界大戦後、国共内線で中国共産党に敗れ、蒋介石が台湾に逃げ、台湾で独裁統治をしたときは、こういう国家に対する忠誠心や愛国心を中国の故事を利用して強調することは当たり前でした。中国の地名や故事にちなんで台湾の地名や路名を命名することも当たり前で、今でもそういった地名や路名が残っています。

当時は台湾の団体や国営企業の名前に「中華民国」や「中国」が含まれ、台湾人は自国の歴史として中国大陸の歴史を学ぶ時代でした。1997年に中学生向けに「認識臺灣(台湾を知る)」という教科書が出て来るまでこういった状況は続いたのです。

「中国」文化を守る名目で神社保存を主張

桃園神社・社務所
桃園神社・社務所

そんな状況の中、1972年に日本と台湾(中華民国)が断交した後、「清除臺灣日治時代表現日本帝國主義優越感之統治紀念遺跡要點」という行政指導の中で「日本の神社は徹底的に撤去すべき」という指示が下され、日本統治時代に200社近くあった神社が壊されてしまいましたが、桃園神社は「中華民国」のために戦って亡くなった軍人を祭る「忠烈祠」として主祭神(祭る神)を変更して何とか残りました。

しかし1985年には桃園縣政府が「忠烈祠」を建て替える計画を立て、設計競技(コンペ)が行われ、設計案まで決定しました。しかし選ばれた案の設計者の1人(案は2名による共作)が自分の案が選ばれた後、現場を見て建築や環境の美しさを知り、また台湾で残った数少ない神社で貴重な台湾のヒノキ材で作られていることを知り、自分の設計案を放棄し、建て替え反対派に回ったのです。

桃園神社・手水舎
桃園神社・手水舎

住民や学界などの反対派はマスコミを使って、以下のように保存の合理性を訴え、世論を動かしました。

  • 桃園神社は1つの芸術である、しかも千年檜の命をもって作り出されたものである。
  • 建築様式は「仿唐式建築(唐代に倣った建築様式)」であり、「中華民族建築」様式が変化したものである。こういった優れた建築は保存されるべきである。
  • もし桃園神社を壊すなら、なぜ同じ日本人が作った「総統府」や「台北賓館」など他の建物はなぜ残すのか?
  • なぜ外来民族統治時代の建築である「安平古堡(オランダ)」や「紅毛城(スペイン)」は保存するのに、神社だけ壊すのか?
  • 日本人が残した歴史の痕跡、そして「大中國民族」の「國恥紀念物」を正視し、日本の中国侵略の証拠として残すべきである。
  • 桃園神社は8年の抗日戦争の「戦利品」である、なぜ残さないのか?
  • 日本製品は使うのに、なぜ日本建築は受け入れられないのか?

上記の主張の中には、今から見ると不自然さを感じる人もいるかもしれません。当時の台湾は民主化が進んでいたとはいえ、まだ戒厳令(解除は1987年)が敷かれており、言論への弾圧がまだ残っている時代でした。また少数派ではありましたが強硬に取り壊しを主張する人もいたので、やはり慎重な言い方をせざるを得ない時代だったのです。

結局桃園縣議会は世論の後押しを受け、圧倒的な賛成で「取り壊し反対」を決議しました。また桃園縣も折れ、神社の保存・修復が決定したのです。また1994年には台湾政府によって歴史建築物として認定されるに至りました。

台湾人の「智慧」と「念い(おもい)」が神社を守った

桃園神社・山門
桃園神社・山門

保存に当たって日本人が助けたわけではありません。むしろ日本人が口出しできるような情勢ではなかったはずです。

当時の台湾社会の雰囲気を鑑みて、各方面を説得する理由を考え、マスコミを使って世論を形成するという、台湾人の柔軟な「智慧」。そして何よりも誰が作ろうが良いものは良い、保存しなくてはならないという台湾人の強い「念い(おもい)」が桃園神社を守ったのです。

台湾人の「念い」を知ってほしい

桃園神社・狛犬と神馬
桃園神社・狛犬と神馬

しかし、その「念い」は「親日」という一言で済ませられる話ではありません。

貴重で美しい歴史建築物を残すべきだという学術的な信念、ずっと見てきた地元の風景を守りたいという郷土愛、台湾という土地の特色を顧みず、中国様式のコンクリート建築にしようとする中国化や画一化に対する反発、など色々な側面があったはずです。

また桃園の土地柄も関係があるかもしれません。1977年に中壢事件(ちゅうれきじけん)と呼ばれる事件が桃園の中壢で起こりました。桃園縣長選挙の投票過程で中国国民党の不正行為に怒った市民が市内の警察分局を包囲し、焼き打ちにしたのです。

こういう場所で台湾そして桃園の複雑な背景に是非目を向けていただき、台湾をもっと知っていただけると大変うれしいです。

場所

参考文献 (クリックすると一覧を表示)
  • 桃園神社保存事件‧1985年-文化部文化資產局 (https://www.boch.gov.tw/information_190_49273.html、2007年12月17日、2020年08月23日閲覧)
  • 忠烈祠 (臺灣) – Wikipedia (https://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BF%A0%E7%83%88%E7%A5%A0_(%E8%87%BA%E7%81%A3)&variant=zh-tw&oldid=61217562、2020年08月23日閲覧)
  • 桃園神社 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A1%83%E5%9C%92%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=77818702、2020年08月23日閲覧)
  • 桃園市忠烈祠 – Wikipedia (https://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A1%83%E5%9C%92%E5%B8%82%E5%BF%A0%E7%83%88%E7%A5%A0&variant=zh-tw&oldid=61142021、2020年08月23日閲覧)
  • 文天祥 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%A5%A5&oldid=78204788、2020年08月23日閲覧)
  • 正氣歌 – Wikipedia (https://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%AD%A3%E6%B0%94%E6%AD%8C&variant=zh-tw&oldid=59423648、2020年08月23日閲覧)
  • 認識台湾 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%AA%8D%E8%AD%98%E5%8F%B0%E6%B9%BE&oldid=78752812、2020年08月23日閲覧)
  • 日台関係史 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%97%A5%E5%8F%B0%E9%96%A2%E4%BF%82%E5%8F%B2&oldid=78954394、2020年08月23日閲覧)
  • 中壢事件 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%AD%E5%A3%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=79028459、2020年08月23日閲覧)
  • 台湾神宮 – Wikipedia (https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=77914559、2020年08月23日閲覧)

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