浯州書院

書院とは昔の教育機関で、学識のある人が集まるサロン的な場所でもありました。

金門は学問熱心な地域だったようで、宋朝の時代、1156年に中国宋代の儒学者で朱子学の創始者でもある朱熹(朱子)が燕南書院を開いたのをきっかけに、四大書院(燕南、金山、浯州、浯江)が設立されました。

その結果、明や清朝の時代には科挙を受験し、朝廷の高官になる人が多く出て、「海濱鄒魯」と呼ばれるようになりました。「海濱(海浜)」とは沿岸地域のこと、「鄒魯」は春秋時代の「魯」と「鄒」という国のことで、孔子と孟子の故郷であることから、文化や学問が進んだ地域という意味で用いられるようになったものです。

写真の「浯江書院」は清朝時代、乾隆45年(1780)年、黃汝誠氏の寄付により金門4番目の書院として設立されましたが、現在金門で唯一残っている書院でもあります。1970年に鉄筋コンクリートで元々の木造建築を建て替えたのですが、中にある朱子を祀った朱子祠だけが昔のまま残っています。

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(2010年6月15日 更新)

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