1915年頃に建てられた洋館「許允選洋樓」。建材売買で財を成した許允選により建てられ、建材は対岸のアモイより運んで来たものを使いました。
元々3階建ての計画だったのですが、後ろに許家の祖先を祭る祠堂があり、それの高さを超える事をはばかったため、それを避けるために色々な工夫を凝らしました。
まず、中庭を囲んで後ろに母屋、前に2つの小部屋(一落二攑頭)という伝統住宅の構成を採り、前面の2つの小部屋の上に2階部分を重ねること(疊樓)で2階建てにしました。
そして、更にその前に1階・アーケード、2階・部屋の構造物を付け足すことで、洋館の形にしました。そして前方の2階部分は全て中央部分を空けています。こうすることで祠堂から空への視野を遮らないように工夫したのです。
更に洋館の前面をアーケードにする建築方式は台湾語で「五腳基」と呼ばれます。これは英語の「Five feet base」の直訳です。シンガポールやマレーシアに移った金門華僑が持ち帰ってきた建築様式なのですが、当地のアーケードの幅が当地の規則で5フィードだったことからこういう名前が付いたようです。
昔は昔でこういうグローバルな世界があったのですね。きっと金門の人たちはこうやって洒落た洋館を見ながら海外というものを理解していたのでしょう。想像してみるとちょっとワクワクする感じがします。